硫黄島の戦いといえば、映画の主人公にもなった栗林忠道中将が有名だが、1945年3月の玉砕の直前、時の米大統領にあてて「『ルーズベルト』ニ与フル書」を書いた市丸利之助少将の名も忘れられない。
いよいよ最期という時、英語の堪能な日本兵が文語体の手紙を翻訳し、その書面を身に着けた兵士が敵陣へ突っ込んで戦死した。遺体から米軍が書面を回収して本国へ運んだという。
「書」の中で少将は言う。
・米国がナチス・ドイツのヒトラーを倒したとしても(世界の社会主義化をめざす)「ソビエト」と協調していけるのか。
・米国は世界制覇の野望を実現しようとしている。しかし、強者が世界を独占するなら永久に闘争が繰り返され、人類に安寧幸福の日は来ないだろう。(平川祐弘著「米国大統領への手紙 市丸利之助伝」参照)
新たな冷戦も? 市丸少将は教養豊かな歌人でもあったという。「与フル書」には軍国主義の色彩が強く、米国人はもとより今の日本人も違和感を覚えるだろうが、少なくとも上の二つのくだりは的外れとはいえまい。
第二次大戦で協力した米ソはその後、長い冷戦に突入するからだ。ソ連崩壊によって冷戦は終わったが、00年以降、ロシアのプーチン政権とブッシュ政権は徐々に対立を深め、今は新たな冷戦への瀬戸際とも言われている。
米露関係は世界の安定に大きく影響する。09年1月に退任するブッシュ米大統領にとって今年は実質的に最後の年だ。北朝鮮やイラクを含め解決すべき問題は多いが、ロシアとの関係改善も不可欠である。
対立の焦点は東欧へのミサイル防衛(MD)配備だ。米国はポーランドとチェコにMDシステムの配備を計画している。これに反発したロシアは、欧州地域の戦力配備をめぐる条約の履行を停止した。米国の対応によっては他の条約も見直すと、ロシア側はすごむ。
過剰反応のようだが、ロシアにも言い分はある。欧州の軍備管理体制は米ソの長年の交渉で築かれてきた。世界のどこにMDを配備しようが米国の勝手だと言うなら、ロシアや中国がミサイル戦力を増強して対抗するのもまた勝手ということになる。それでは「強者による永久の闘争」路線にはまってしまう。
MD配備それ自体の是非はともかく、日本のMDが北朝鮮の核・ミサイルを念頭に置くのに対し、東欧のMDが対処する「イランの脅威」の実体は定かでない。米国が東欧配備を強行し、ロシアとの険悪な対立に陥るのは、日本にとってもマイナスだ。欧州安保のほころびはアジアの不安定化につながる。そもそも、ロシアは北朝鮮をめぐる6カ国協議の構成国である。
ブッシュ政権の7年は対立と戦争の連続だったように思える。01年の9・11テロは、単独行動主義の傾向が強かったブッシュ政権をより攻撃的にした。米国はアフガニスタン攻撃からイラク戦争、その後のイランとの対立へと向かった。
しかし、その行き着く先はどうだったろう。
アフガンでは反米武装勢力が増大している。イラク戦争の大義とされた「大量破壊兵器の脅威」はまるで実体がなかった。イラク市民の死者は数万とも数十万とも言われ、国は分裂の危機が続く。イランについては、米情報機関が核兵器開発は03年に停止されたと結論付け、ブッシュ政権が軍事行動をちらつかせる根拠がなくなった。
この7年、米国は何を達成したのだろう。そこから考えなければならない。
アーミテージ元米国務副長官、ナイ元国防次官補らが昨年まとめた「スマートパワー」の提言は、米国が国際問題に関して恐れや怒りを強調するより、楽観主義と希望を鼓舞することを求めている。米国には軍事力があり、文化的魅力がある。ハードとソフト両面の力を生かし指導力を再構築しようというのだ。
こうした発想の転換は大事である。9・11後の「テロとの戦争」の中で、米国はさまざまな「敵」を名指しした。米国が強調する「脅威」に世界は身構えた。
中東への関与必要 もうそんな時代ではない。多くの人々はブッシュ政権の善悪二元論の単純さに気づいている。
最後の1年、ブッシュ政権は価値観の異なる人々の声に耳を傾け、7年間に山積した問題に取り組んではどうか。イラク情勢の改善には、イランを含む周辺イスラム諸国との協力が欠かせない。パレスチナ問題への真剣な関与も必要だ。
「与フル書」は、米国で話題になった後、米メリーランド州アナポリスの海軍士官学校に保管された。昨年11月、中東和平国際会議が開かれた場所である。
その際、ブッシュ大統領は、今年末までのイスラエルとパレスチナの合意達成に全力を挙げることを約束した。パレスチナは分裂統治の解消に努めるべきだし、イスラエルの妥協も必要だ。しかし、何より米国が変わらなければ展望は開けない。自ら改めるべきところは改め、和解へ踏み出す1年にしてほしい。
2008年1月7日 毎日新聞 社説