ちゃんとした勤め【天声人語】
その長い布は「ちゃんとした勤め」の目印だった。業界団体が監修した『日本ネクタイ史』(1956年)に、時の通産相が辞を寄せている。〈今日(こんにち)ネクタイは吾々(われわれ)男の社会には無くてはならない存在であり……〉。首相になる前の石橋湛山だ。
以来半世紀、「男の社会」も職業観も変わった。スポーツ選手や菓子職人など、首まわりの緩い仕事にあこがれる男性は多い。中で、ネクタイが昔ながらの存在感を保つのが政治の世界である。
福田首相はそれをめったに外さない。閣僚全員が沖縄のかりゆし姿になった時、首相の一着は高級そうだがやや涼味を欠く黒系で、ボタンも一番上までとめていた。閣議後に早速スーツに着替え、夕刻にはネクタイが復活した。省エネのクールビズは「案外肩こる」のだという。
もともと、世間の目を意識した振る舞いはお嫌いと聞く。それも一つの見識だ。ネクタイを外すと肩がこる珍現象は、周囲に迎合した自分への拒絶反応なのだろう。ご同業と地球環境を話し合う洞爺湖畔では、建前と信条の間でどんな姿になるのやら。
かつて「日本の政治家ほど、服装に保守的な種族はない」と評したのは、政治記者が長かった読売新聞の渡辺恒雄会長だ(『随筆集ネクタイ』菱屋)。身なりの保守性は主義の左右を問わないらしい。
当世、服装だけで仕事や地位を言い当てるのは難しくなった。同じように、肩書が人の値打ちを示さないことも自明である。「ちゃんとした勤め」の頂点に政治家がいた時代は遠く、わずかに痕跡のみが胸元で揺れる。
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