総選挙の年を迎えました。有権者の一票で、政権交代だって起こり得ます。目を覆いたくなる迷走が続く政治。その末にやってくる歴史的局面です。
未曾有の「雇用切り」が社会問題化しています。会社経営経験のある麻生太郎首相はもしかしたら“率先垂範”したのでしょうか。衆院解散は四百八十人の議員を解雇するようなものだと慎重姿勢を示し、伝家の宝刀をついに昨年抜きませんでした。
しかし、今年は解散があろうがなかろうが、秋までに全員がクビになります。九月に議員の任期満了を迎えるためで、職場復帰には総選挙に勝つしかありません。
国会は大波乱必至
総選挙の前哨戦となる五日召集の通常国会は、自民党幹部いわく「民主党との何でもありの戦い」の始まりです。与党の至上命令は第二次補正予算と二〇〇九年度予算の早期成立であり、関連法案は衆院再可決で中央突破する方針。「解散の『か』の字も考えずにひたすら予算成立へ努力するのが首相の考えだ」−。普段は地味系の河村建夫官房長官も強気です。
厄介なのは後ろから鉄砲玉が飛びかねないこと。例えば二次補正には評判の悪い定額給付金が盛り込まれ、自民党若手に不満がくすぶります。十七人の造反で再可決に必要な「三分の二」を割り込みます。
昨年の衆院解散要求決議案で麻生批判の急先鋒(せんぽう)である渡辺喜美氏が造反しました。「第二、第三の渡辺」が現れて予算関連法案の成立が阻まれれば政権は失速。取りざたされる〇九年度予算成立後の解散はおろか総辞職の可能性もあります。20%前後の内閣支持率の下落が続けば、多数の鉄砲玉が飛びそうです。
ここは考え時。民主党が要求する通り、給付金部分を分離して二次補正を提出してみてはどうですか。頼みの綱の「三分の二」以上の勢力も、〇五年の郵政選挙がもたらした「遺産」であることを忘れてもらっては困ります。
液状化と曲がり角
渡辺氏の動きばかりではありません。小泉改革路線の堅持を主張する自民党の中川秀直元幹事長は政策勉強会を立ち上げ、加藤紘一、山崎拓両元幹事長らも民主との接近がうわさされています。
総選挙を前にした液状化現象。自民ならぬ「自分党」といった趣でしょうか。総選挙は「ポスト麻生」で、との話すら出ています。
全国各地に広がるのは「一度民主にやらせた方がいい」との声。そんな中で、体力が弱まる後援会組織や各種支持団体を固める従来型戦術では、苦戦は避けられそうもありません。
昨年末には自民党の選挙責任者である古賀誠氏が「公明切り」に言及したとされる騒動も。創価学会を支持母体とする公明党との間に吹くすきま風は身に染みそうです。公明にしても支持者の麻生離れをどうするのか。連立十年目。曲がり角の時かもしれません。
民主はどうでしょう。一昨年の参院選圧勝後、大連立話のゴタゴタはあったにせよ政権に手が届くところまで来たのは確かです。共産党が三百小選挙区のうち百五十程度に候補擁立を絞ったことも民主に有利に働くとみられます。
しかし、民主政権待望論には相変わらず「自民ではダメだから」とのただし書きがつく点を重く受け止めるべきです。民主党支持率は必ずしも伸びていません。
政権交代後、四年で実現する政策の工程表を盛り込んだマニフェストも、財政の裏付けがないとの批判にさらされています。焦点の雇用問題でも、アピール度は共産党に押され気味。
このまま行けば勝てるからと「守り」に入れば、追い風も弱まるでしょう。
選挙後の政権枠組みで見逃せないのは社民、国民新の消長。与党と民主ともに過半数に達しない場合、平沼赳夫氏らの無所属グループの「数」がキャスチングボートを握る可能性もあります。選挙後に自民、民主を巻き込んだ再編という、それこそ政界液状化という事態もないとはいえません。
皆で政治を正そう
百年に一度の金融危機に、昨年の日本政治は漂流を続けました。国民の信任を受けた正統な政権でないと国難のかじ取りはできないのに、それが封じられたからです。震源地の米国で変革を唱えたオバマ次期大統領が選出される光景はうらやましくもありました。
政権担当者が立ちすくむなら、私たちがこの国の針路を決める番です。政党政治には歴史的舞台にふさわしいマニフェストづくりが求められます。
そして私たち自身も考えてみる時です。苦境をはね返し未来への希望を見いだす方策を。その視点から各党公約をチェックする。そんな積み重ねを、政治を正す道につなげる一年にしたいものです。
2009年1月4日 中日新聞 社説